【Travels in USA -2002-】 その3
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その1
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その2
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その3
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その4
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その5
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その6
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【LA〜LasVeas】
2002年3月23日。今日は一攫千金の街ベガスへ大移動である。走行距離は250マイル以上だったと思う。フリーウェイをひた走る。やはりこっちの人の運転は無茶である。恐ろしく飛ばすし、車間を詰める。びくびくしながらのドライブだ。
給油も問題なく、正確にはカードが認識されず、スタンドのおっちゃんに「Pump6で20ドル分」と伝え、現金先払いの方法を利用、実際には16ドル分で満タンになりお釣りを貰った。以外と英語が通じて我ながらすばらしい。余談だが、アメリカにきて何度JustLookingといったことか・・・。
事前にルート66の跡を見ることが出来ると調べが付いていた場所によるため、途中でハイウェイを降りる。Historic Road Route66 と書かれている道路の前で記念撮影をし、再び走り出す。100数マイル走ったところでベーカーCityで、燃料補給。というのは、この国、数百マイル先までガソリンスタンドがないなんてことはザラ。気が付いたときに満タンにしなければならない。ガソリンを入れたついでに、タコスのファーストフード店に立ち寄りタコスを食す。1人分4ドル以下なのだが2人で食べて丁度の量。味もいい。ここでは日本人は珍しいようだ。
昼前に出発し、延々と数時間走って夕方前、ラスベガスの50マイル(80km程)手前でアウトレットモールを発見、休憩方々、入ってみることにした。ラスベガスからのオプショナルツアーが出ているらしく、日本語で歓迎・ようこそ等書かれている。が、日本語は全く通じず。適当に休憩も出来たところでラスベガスまで40分程、快調に飛ばす。
まず最初に見えるのがルクソール・ニューヨークニューヨークなどなど、適当に宿でチェックイン。残念なことに、今日は土曜日。普通なら40ドルで止まれるモーテルも90ドルになる。MGMグランドホテルの真向かいという好ロケーションなので当然のようだ。どこかの観光バスが、観光客全員を同じモーテルでチェックインさせていた。ぼろいモーテルだが、ここらのモーテル皆大きくは100室程の部屋を持っている。コンビニ・スーパー・モーテルのオフィスなどにもスロットマシーンがあるのだ。
最初に決まった部屋の隣がやかましかったので、フロントへ部屋を変えてくれとクレームをつけるとあっさりと変えてくれた。
20:00頃、街に出ることにした。といっても、ここはラスベガス。通りさえ間違えなければ治安は良い。フレモント通りのアーケードを見るため北へ車を走らせる。フレモント通りの入り口は、ハーレーの店。ラスベガスはネバダ州。ハーレーはネバダ発なのだろうか?街の至る所にハーレーの文字がある。
後日談:ハーレーはウィスコンシン州ミルォーキーが発祥の地です
隣は土産物屋、もちろん店内にはスロットもある。カジノもかなりの数があり、全部で2ドルほど使ったが全然勝てず。2ドル=260円、これで大きな夢を見るのは大きな間違い。ちなみに、我が妹は、知らない間に25セントを75セントにしていた。奥の方にハワイ懐かしのABC STOREがあり、いろいろ見て回るがめぼしいものはない。アーケードのショーがはじまる時間になったので外でアーケードに映し出される光のショーを楽しむ。
時間は22時前、子供も多く、日本人も多い。よく遊んだところで明日はグランドキャニオンへ向けて出発である。明日の走行も今日と同じぐらいか、それ以上になるはずなのでしっかり睡眠をとることにする。
【Vegas〜GrandCannyon】
2002年3月24日。今日は距離があるので早朝発の予定だったが、運転手が眠かったのでゆっくり昼前まで睡眠。給油と朝食ゲットのためコンビニへ。ホットドッグが2つで99セント。やっぱり塩がきついのだが、おいしい。
腹ごしらえもできたところで、フリーウェーを乗り継ぎグランドキャニオンを目指す。途中フーバーダムで1時間半も待たされる大渋滞。どうやらフーバーダムへの観光客と、その先の警察によるセキュリティチェックが原因のようだ。なんとか通過し、それまでの遅れを取り戻すべく90マイルでフリーウェイをかけぬける。相棒、マスタングは想像以上に走らない。トルクはあるが、2000ccの国産車のほうが遙かに加速も良く低燃費で楽に走れる。
砂漠と赤く岩の露出した山しかない景色を延々走る。想像を遙かに超える景色だ。途中、Kingmanの街で給油とおやつの購入。因みにガソリンは、3.8リッターで1.3ドルほど。日本の3分の1程の値段である。このKingmanという街はやはりルート66のころからある街で、コンビニでもルート66に関する土産物を買うことが出来る。
さて、めちゃ辛のポテトチップを片手に再びフリーウェイを走る。標高は5000フィート(1500m)程。牧場で牛が少し見えた以外は、ずっと砂漠と、赤い崖である。まるでグランドキャニオンのミニチュアのような景色である。程なくして雪がちらついてきた。
やばいやばいと思いながら先を急ぐ。グランドキャニオン入り口に近い街、ウィリアムズに近づく頃には、道路も目の前も真っ白。吹雪で数メートルしか見えない危険な状況だったので、グランドキャニオン到着を断念し、Williamsのモーテル、Vest-value Innにチェックイン。
チェックイン時、「どこから来たの?」「日本から」「雪は好きかい?」「好きじゃない」「ハハハ」「ハハハ」なんて会話が交わされた。今までで一番おしゃれなモーテルで、税込み44ドル程と、最安値を更新した。確かにBestValueである。少し休憩した後、街のスーパーに出かけオレンジやジュース、七面鳥のサンドイッチなど購入し、モーテルで食す。
このWilliamsの街もルート66の時代に栄えた街なのか、宿しかない。少しあるお店はいかにもウエスタンな感じがする。古きよき時代を残した素敵な街だ。
明日、雪が解けていれば、グランドキャニオンへ向けて出発である。
【GrandCannyon〜Kayenta】
2002年3月25日。昼前、ウィリアムズの町を出る。その前にウィリアムズお観光センターを訪れ色々と知識を得る。
さて、準備も整いいざグランドキャニオンへ約50マイル。グランドキャニオンへの入場料は20ドル。園内だけでも30マイル以上は走らなければならない。マーサポイントなど主要なポイントを巡り、シャトルバスによるツアーにも参加した。いうまでもなく、表現できないダイナミックさである。
十分に満喫し、モニュメントバレーに近いケイエインタまで300マイルほど走る。ケイエンタのホリディ・インへチェックイン。ホテルののようなモーテルである。フロントのおじさんもなかなか親切だ。田舎の人の英語は非常に聞き易い。ここから明日行くモニュメントバレーまでは約35マイル。
となりのコンビニでフライドチキンとパンをゲット。フライドチキンは8ピースで5ドルちょっと。パンは日本の物より一回り小さい食パン20枚ほどで87セント。田舎は物価が安いようだ。明日はモニュメントバレー。
後日談:コンビニで買ったフライドチキン、箱の隙間にパンが詰めてあったんです。これって緩衝剤の替わりにつかってるんでしょうか。
【Kayenta〜MonumentValley〜LasVegas】
2002年3月26日。モニュメントバレーまで50マイル。この道は、「フォレスト・ガンプ」で見たことがある道路だ。入場料6ドルを支払い、おもしろい形をした岩を見る。何が何だかわからないがすばらしい。近くまで車で行っても良いとのことだったので、砂利の中を少し走ってみたが、マスタングの車高の低さではすぐに引っかかってしまうので諦めることに。普通なら2時間ほどで要所を見て回れるらしい。
さて、見学も終わったところで明日に備えてコマを進める。Williamsで給油。Seligmanからフリーウェイを降り、Route66を100マイルほど走る。この間、近くのFM局から配信されるRoute66 Oldiesという音楽番組を聞いた。一般道といえどもほとんど車が通らない道なので時速75マイルほどで走れる。フリーウェイがあるこの時代に、わざわざこの道を通る車はRoute66に憧れた人々、懐かしむ人々ぐらいのようだ。さてKingmanからまたフリーウェイを延々とラスベガスまで200マイル近く。ラスベガスでは郊外のSuperSuitesへ宿泊、税込み50ドルちょっとで2部屋とキッチン(大型冷蔵庫+4コンロ+大型オーブン)というかなり良い部屋を取れた。明日はデスバレー、出来ればLAまでコマを進めたいところ。
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